006 安久一郎さんを偲んで

安久一郎さんのことを書いておきたい。安久さんは平成十五年三月二十九日、七十四才で亡くなった画家である。3月17日、病床の安久先生をお見舞いしました。
先生は「今日は調子がよくてこの分だと3月中には退院できると思う。そうしたら、個展までまだ1か月あるからもっと絵を描きたい」と、とても意欲的であり、展覧会を楽しみにしていました。
そして、「病気をしていままでいかに欲がありすぎたかがわかった。いい絵かどうかはわからないが、なにか吹っ切れたように思う。個展の前に一度須藤さんに見てほしい」。そんな言葉もいただき、いつでもお伺いしますとお答えしたのですが、その後まもなくご家族から意識がなくなったとのお知らせと、それを追いかけるように亡くなられたとのご連絡をいただきました。
長生きをしなければいい絵は描けないと、事実、丈夫そのものでしたのに74歳はあまりにも早すぎた人生で、さぞ、無念であったであろうと思っています。ご家族がお持ちした作品は先生が話していたとおり、まさに世俗を超え、おおらかで気持ちよく心にしみてくる絵ばかりでした。
結果的に遺作展になってしまいましたが、こんな素晴らしい作品を展示できることができ、悲しみはつきませんが、とても幸せな気持ちもしています。
次の文章は平成12年9月、すどう美術館での個展の際、先生のご依頼で書いた文章ですが再録させていただきます。
平成15年4月28日

安久一郎先生のこと
赤いネッカチーフを首に巻き、リュックを背負って、長身の安久先生がわが美術館に現れる。熟年になってますますモダンでありダンディである。
目はおだやかで優しいが、その奥の眼は厳しく、展示している作家に鋭く適切なアドバイスをしてくれる。
ではご自身の絵はどうか。年輪を重ねるにしたがって、余計なものをそり落し、そり落しして今はひたすら線を引き、ただ線という作品が多い。ようやく自分に到達したというところかも知れないが、でも、決して枯れてしまったということではなく、モダンでダンディな先生の人がそのまま表れている。
私は先生の人柄とその絵がとても好きであり、すどう美術館で展覧会をしていただけることが何よりもうれしいのである。
平成13年9月

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