022 談大の死

立川談志の弟子の立川談大が病気で急逝した。三十六歳の若さである。
先日、お別れの会があり出席したが、二つ目として活躍中であり、将来が期待されていただけにたくさんの人が参会され、その若き死を惜しむ声でいっぱいであった。
すどう美術館が銀座にあった時、三か月ごとに勉強の場として頼まれて、館内で若手落語家の会をしていた。立川談志の一門の前座になりたての志らら、志の吉、吉幸、そして談大の四人であり、今でもいろいろな形で付き合いが続いていたのである。
小田原に来てすぐ、いつも連絡係の志ららさんに妻が「移転のお祝いに小田原の美術館にきて落語をして」と頼んだところ、早速、志らら、吉幸、談大の三人がきてくれた。「早く来ないと館長の遺影の前でしゃべることになるから」と志ららが憎まれ口を利きながらであったが…。
あんなに元気だった談大が亡くなってしまったのは本当に残念であるが、今は残りの三人が早く二つ目から真打になることを願っている。
他の流派であればそれぞれもうとっくに真打になれる技量があり、年数も重ねているのであるが、立川流の真打昇進の基準が高く、なかなかその声が聞こえてこない。談志天皇が死ななければ難しい、と不謹慎なことを言う人もいるが、談志が元気なうちに認めてもらえて初めて、真の真打だと思うのである。

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