023 八田 稔さんとの別れ

はじめて八田 稔さんが美術館に来てくださったのは十数年前のことである。
温和なお顔で入ってこられたその時のことを今でもはっきり覚えている。私の出版した本を読まれて会いに来てくれたのだという。
それから「館長のファンです」と言って、ずっと付き合いが続いた。というよりいろいろな形で応援をしていただいたのである。
八田さんはトラベルプランという会社の社長であり、六本木から京橋へ事務所を移してからはギャラリーび~たのオーナーでもあったのだが、そんなえらそうなところは一つも見せず、いつもにこにこしている。だから一緒に旅をした人たちはもちろん、どこかで出会った人もみんな八田教の信者になってしまう。
いろいろ思い出はあるが、私がお誘いして、二人だけで石川県の小松にある白山を臨むことのできる秘境とその周辺を案内したことがある。とても楽しい旅であった。海外はどこも行っているのに、国内は音痴なところがあるらしくて、たいへん喜んでくれたのはうれしいことであった。
こんな思い出もある。すどう美術館とトラベルプランの合同企画で北海道「十勝千年の森」のツアーにご一緒した。羽田の空港で参加者の出席をとらず出発してしまって、帯広の空港に着いたら全く関係のない二人の旅行客まで乗せてきてしまうご愛嬌もあったが、悠然としていたのはさすがだと思った。
すどう美術館が小田原に移ってからはお願いしてAQUAクラブと名付けた友の会の代表に就任してくださり、「須藤さんいいところに移られましたね、デンマークにあるルイジアナ美術館を彷彿させます」と心から喜んでくださった。
その八田さんがしばらく前から肩が痛いと言われるようになり、添乗の時に親切に皆の荷物を持ってあげての積み重ねと思っていたのに、もっと重い病気ということで心配していた。すどう美術館から近く、八田さんともご縁が深かった大雄山最上寺のお守りをお送りしたのだが、それから間もなく亡くなったとのご連絡をいただいた。五月四日、まだ六十七歳の若さである。
棺の中のお顔は本当に清く安らかであり、神々しくさえあった。大勢の方に見送られての旅立ちであったが、別れの辛さは今も忘れることができない。

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