003 痩身のジャコメッティ

ご承知の方も多いと思うが銀座には「銀座百点」というしゃれた小雑誌が毎月発行されている。銀座にあるたくさんの商店が支えていて続いているのであろうがもう600号を超える長い歴史を持っている。多分後発であろう、丸の内や日本橋、上野などにも同様にタウン誌が毎月出されているが、バックアップの体制が弱いのか、発行の目的や編集方針の違いか、どれも「銀座百点」ほど垢抜けしていない。
さて、この雑誌の最近の号にとても面白い記事が出ていたのでそれを紹介するのが今回の目的である。「銀座サロン」という欄に「歌うたい六十年」のタイトルで今年82歳になるシャンソン歌手の石井好子さんが登場して60年にわたる歌手活動を中心に話している。その内容がとても興味深いのであるが、話の中に30歳台で行ったパリ時代のことも触れていて、親しかったジャコメッティや藤田嗣治との交流のことが生き生きと語られている。
特にアーティストのみなさんに伝えたいと思うのはジャコメッティについての話のところであり、こんな風に書かれている。「すでにニューヨークの美術館などで作品が飾られている人なのにパリでは大場末のあばら家に住んでいて、『千年生きたい、千年生きれば自分はもう少しいいものができる』と言って自分を罵り、半分泣きながら描いては破り、彫刻をつくっては捨てていた」。そして「自分が未完成だと思ってる絵や彫刻を売ったことをすごく恥じて、自分は娼婦だ」と苦しんでいたというのである。
そのころのジャコメッティは服装もボロボロで汚くて、石井好子さんが歌っているところへやってきたのに乞食がきたといって玄関払いをくらったこともあるのだそうである。
先年、私がスイスに行った折、チューリッヒの市立美術館だったと思うが、そこにジェコメッティの作品がたくさんある部屋があって、彫刻の他、親友であった矢内原伊作の肖像画なども掛けてあるのを見たことがある。そこでの彫刻の大部分は初期のものであろう、太った人物像であった。
石井好子さんの話を読んで、もう大家になっていたのであろうのに、自分の作品のために最後まで苦しみ、身を削って出来てきたのがあの痩身の像たちなのだと思いをいたしたのである。
安易に妥協せず、そして世間の評価に惑わされることなく、最後まで美の追求をしている姿が私にはとても貴重に思われ、今まで以上にジャコメッティが好きになってしまった。

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